第一位: 吉野家のどんぶり
第二位: 月刊OUT昭和52年6月号
第三位: SONY AIBO ERS-220
どんぶりはキャンペーン用の「吉野家」の文字がデカデカと入っている奴ではなくて、実際にお店で使われている絵柄のみのどんぶりに限る。それに持ち帰った牛丼弁当を盛りつけて食すのだ。
月刊OUTはかつて「性器の味方」と謳われたサブカルマガジン。僕が生まれて初めて「投稿」なるものをした雑誌でもある。ちなみにその昔「◯◯◯◯◯」という人気ラジオ番組があって、そこの企画本が出版された際に僕の投稿したエロイラストが見開き1ページを割いて掲載されてしまい、本名で投稿することの怖さをその時知ったのは秘密だ。なんで伏字にしてあるかと言うと、さっき検索したら思い切り今でもヤフオクで手に入ることがわかったからである。
AIBOは純粋にかわいいだろ。
それだけ。
オーケンは「人として軸がブレている」と自虐を歌って喝采を浴びたが、僕はむしろ人としての中心線となる軸を持っている事自体に経緯を表したい。
世の中にはその軸自体を持たない人間が多くいるような気がするからだ。
かく言う自分もその一人だが。
人としての中心線、それは「信じられる何か」と言い換えることが出来る。
人によってそれは宗教だったり、本だったり、歴史上の偉人だったり、両親だったり、師と呼ばれる存在だったりするのだが、それがどのような姿かたちをしていようが、それは大した問題ではない。
僕はいちばん大切なのは「目をそらせるかどうか」だと思う。
目をそらさないことではない。
目をそらすことが出来るかどうかが信じられるかどうかの境界線だと思う。
心の底から信じられるかどうかは、「それはそれ、これはこれ」と割り切れるかどうかなのだ。
これは恋愛も同じ。
人は常に迷いの中だから、軸を求めるのだろう。
西に向かっているのか東に向かっているのか、人は誰一人知る術を持たないからコンパスたる指針を求めるのだろう。
しかしそれを考えると猪木はスゲーなあと思う。
道に迷った旅人に彼が言うセリフはこうだ。
「行けばわかるさ。」
んー、本当に凄い旅人だ。感動。
Gachiflo